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2011年6月16日木曜日

朱い月

皆さん、昨夜見れましたか?神秘的でした。


昨日の夜はスペインでも皆既月食が見れました。左の写真はイメージなんですが(私のカメラじゃ写りませんでした。)、もう少しだけ三日月のように影が深い同じような月が星のない夜空に浮かんでいました。この夕日のように赤くなる現象を、朱い月のような名称でスペインでも呼ばれています。地球に隠れてしまった太陽がから発する光が、夕方のように薄い角度で月をほんのり照らすから、夕方と同じ現象で月が茜色に染まるんだそう。


こんな月をみて、何千年も昔の人たちは、神様が怒っているなんて思って、捧げ物なんかをしたんでしょうか。



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2011年6月14日火曜日

FCバルセロナ福岡校

またまた途中に雑談なんですが、2年前くらいに仕入れたニュースを少し。

スペインと私の地元福岡にこんなところにもつながりがありました。2年前に福岡アビスパのサッカーの試合を見に行ったときに見つけたんですが、なんとフットボールクラブバルセロナ、福岡に日本最初のバルサのサッカースクールを作りました。バルサのサッカー教育方針に興味がある人やそれにあこがれる人を募集しているようです。 同時にスペイン語、英語の教育もやっているようで、近い将来バルサに日本の選手が現れるかもしれませんね!


入校条件、スクール概要などは、こちら


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2011年6月5日日曜日

東日本大震災チャリティー講演 

パリ記の途中を書いているところだったんですが、昨日アリカンテ日本人会で東日本大震災のためのチャリティー講演を行ったので少し。


アリカンテ日本人会のメンバーとアリカンテ大学本部と協力して 、地震のチャリティー講演を行いました。人が集まるか心配だったんですが、思っていたよりぎりぎりの時間に人が入り、ほとんど満席で講演ができました。まず、アリカンテ大学の講師から、30分くらいに地震についての基礎知識を話してもらい、次にアリカンテ日本人会からの千羽鶴プロジェクトのプレゼンテーション。私も折鶴の歴史についてのプレゼンをすることになり、始終緊張しっぱなしでした。スペインのバルセロナ領事館の総領事も着ていただけることになっていて、最後に少し感謝の言葉とお話をいただきました。残念なのが、すこし飛行機が遅れてしまって、少しずつ人が帰り始めた時に到着。


その中で、アリカンテ大学からTシャツの販売、アリカンテ日本人会からろうそくの販売と募金箱で義援金を集め、大成功でした。来てくださった、スペイン人、日本人の方々に本当に感謝します。


義援金は東北地方の復興までですが、こういう大震災にあった人たちがいるということが忘れられないように、千羽鶴などのプロジェクトを続けていけたらいいなと思います。



(スペイン、アリカンテ日本人会は東日本大震災の被災者の皆さんが早く復興できるように遠くからですが、お祈りいたします。集まった義援金は福島県相馬市 の震災孤児及び被災者就学資金として寄付いたします。特に、福島県で震災により親を亡くした孤児のために継続して支援をしていこうと考えています。)




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2011年5月17日火曜日

Pray for Fukushima

 今週末は、アリカンテ日本人会として東日本大震災のボランティア活動で、土曜日にアリカンテ地域の小中高一貫教育の"Escuela Europea"(エスクエラエウロペア)の学園祭と、日曜日に"I Salón del Manga de Alicante"というスペインの「日本漫画好き」が集まるお祭りへ行って来ました。

 
エスクエラエウロペア(学校)では、省エネ意識の向上を目標として1ユーロ、2ユーロで各種ろうそくを販売し義援金を集め、同時にこどもたちやその両親などに、折り紙にメッセージを書いてもらってそれを一緒に折るというイベントを行いました。小さな子どもたちが一生懸命千羽鶴を折ってくれてなんだかうれしかったです。大体、7、8歳になるともう、ほとんどの子どもが日本で何が起こったか把握して、理解していてすごいなとも思います。


漫画祭では、筆と墨で彼らの名前をカタカナで書きそれを2ユーロで販売して義援金を集めました。実はろうそくや折り紙の企画の方もやっていたんですが、日本の漫画、アニメやゲームなどが大好きな人たちの漫画祭だったので、日本語で名前を書いてもらうということが一番人気すぎて他のことには目もくれてくれませんでした。笑

今までは、バルセロナなどで開催されていて、アリカンテ初の漫画祭だったようで、通路を歩けないほど込んでいました。カラオケなんかも、エバンゲリオンなどを、スペイン人が日本語で歌いまくっていたのでちょっと苦笑。でも、おもしろかった~!



最終的に収益金は募金箱も含めて700ユーロ以上になり、当初予定していた目標1000ユーロまであとわずかになりました。6月4日にも東日本大震災の地震についてと、エネルギーについて考える講演をやるので、アリカンテにいる人は是非。



(スペイン、アリカンテ日本人会は東日本大震災の被災者の皆さんが早く復興できるように遠くからですが、お祈りいたします。集まった義援金は福島県相馬市の震災孤児及び被災者就学資金として寄付いたします。特に、福島県で震災により親を亡くした孤児のために継続して支援をしていこうと考えています。)






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2011年5月2日月曜日

NATOの軍艦、アリカンテへ

スペインアリカンテは今日も雨。
最近は雨期に入っていていっつも晴れのアリカンテにしては珍しく、雨が続いている。でも日本の雨と比べると、しとしと続くわけじゃなく、ふと空を見上げるともうやんでいたり。


NATOのスペイン軍艦。後ろがポルトガル船















NATO(北大西洋条約機構)の軍艦が地中海での演習のためにアリカンテの港に停泊していた。新聞に載っていたらしいんだけど、知らずにたまたま港に行って発見。一般に公開していたので近くまで行くと、ちょうど午後1時ぎりぎりで、入る直前に閉められてしまって残念ながら中は見学できず。。。こんな曇り時々雨の日だから、軍艦から今にも大砲が振ってきそうでおどろおどろしい。

大砲部分















これはスペイン軍艦の射撃される部分。一番後ろからポルトガル、スペイン、フランス、イギリスという感じで軍艦が停泊していたけど、一番迫力があったのはポルトガルの船だったな。


軍艦なんてなかなか見れるものじゃないし、中見たかったな~。



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2011年3月13日日曜日

東日本大地震 スペインでの報道

一昨日前に起こった。東日本大地震。2011年3月11日。



ニュースで日本で地震が起きたと、朝起こされた。始めは地震は日常茶飯事の日本だから、軽い気持ちで「ふうん」とニュースを見ると、大変なことになっていた。スペインでも1日中日本の地震の報道で、日本に住むスペイン人の安否の確保などが大きく報道された。私も、実家にまず安否の確認、それから友人たちへのメール。実家は福岡なので、至って平和で安心しが、連絡がとれない関東の友人がいたのでやきもきした。それでもその日の夕方あたりにはほとんどの友人からメールの返信があり、安心した。


午前中のニュースでは、ひどいことはわかっていたが、具体的にどれくらいの規模なのか、どれくらいの人が人が被害にあっているのか全くわからなかった。始めは死者10何人から始まり、もちろん今日まで増えていき、スペインでも行方不明者を含めまだはっきりした数字は報道されていない。


随時ニュースをみていると、福島の原発の問題が大きく取り上げられている。海水を注入したということだけど、放射能の値が収まることを祈っている。そして、その周りで働いている人たちに被害がないように。


新聞も報道機関も日本の地震一色になっている。ここからも、支援がでると思う。私たちも、ここからできる限り支援したいと思う。

2011年2月15日火曜日

People meet in architecture (スペインで話題の日本人)

私がたまに購読している、スペインの雑誌に去年建築会のプリツカー賞を日本人のSANAAというグループがとったとうい記事が載っていた。去年の章が今年載っているというのがスペインらしい。プリツカー章とは文学でいうノーベル章のようなもの。そのSANAAのひとりに妹島和世さん(写真左)という建築家がいて、ちょうど私が行った研究室の先生の元同僚かなにかで、私が通った大学から学生がインターンにいかせてもらっていた。私はそのとき違う事務所へ行ったのだけれど、そこの事務所はすごく大変で忙しいと聞いたのを今でも覚えている。

そこで彼女が言っている言葉が"People meet in architecture"。直訳すると、なにか理解しづらいんだけど、「人々は建物のなかで出会う。」みたいなことなのかな。確かに街の中なんかより、人が歩く軌道なんかを、自分たちの手で作り出せるし、規模が大きくても小さくても、ここでどういう風に人が顔をあわせるかとか、ここですれ違うんだとか、ここからどこが見渡せるとか考えるとなんかわくわくしてくる。でも彼女の建物とかみると、単純にすごいな~って思う。



ただ、建物の概観がドラえもんの21世紀の図みたいになってきたな~、って最近思う。この感じでずっと建物が建ったら、本当にあの21世紀の絵になっていくのかな。今だから概観も斬新でもそれがたくさんできたら普通になっていくんだろうか。私は今ヨーロッパに来て以来昔好きだった未来っぽい建築より、古くからあるいつまでも色あせない建物が好きになった。昔のヨーロッパのスタンダードなんだろうけど、すごく魅力的。そうやって、内装だけ新しいものに変えていって、無駄をなくして、エコやこれからの考えに適しているとも思う。これからもそういう残せるものは絶対残さなければいけないと思う。


その他に建築やデザイン雑誌なんかによくでる日本人では、NENDOというグループや、深澤直人さんなんかがよく雑誌にでてくるかな。MUJIなんかも有名。文学に関しては、圧倒的に村上春樹が有名で、新聞の雑誌なんかに特集がくんであったりもする。なにげによく読まれているのが、三島由紀夫。スペイン小説のあの独特の暗い雰囲気、たとえば日本で有名な小説の中ではカルロス ルイス サフォンの風の影なんかに世界が似てるからじゃないかなって思う。少しながくなったけど、小説などの話はまた今度。

2010年7月28日水曜日

いつまで続くの?

"いつまで続くの?あなたにかかっています。"
"闘牛廃止のために"



ついに、スペインカタルーニャで投票によって闘牛の廃止が決まった。


バルセロナが主要都市のカタルーニャ地方は、違う言語を話し、その土地に誇りを持った人が多く、スペイン内では新しい物事の発信地で国際的に開いている人々が多い。その中でずいぶん前からカタルーニャから発信していた闘牛廃止の運動で、この地方の闘牛廃止が決まった。どこまでどう変わるのかはっきりしたことはわからないけど、はっきりしていることは、見世物のために牛を殺さないということ。動物保護団体などや、動物が好きな人々からは兼ねてからの願いだった。もちろん食べるためには仕方ないことだけれど、見世物にするために殺すことがそういう人々の怒りをかっていた。


スペインへ来た当時、私は闘牛というのは、赤い旗をひらひらさせて牛を興奮させて走らせるだけだと思っていたんだけど、闘牛を見に行きたいと言ったときの友人の顔を今でも覚えている。私は闘牛廃止の運動家などではないけれど、やっぱり動物がその場で刺されて徐々に意識を失って地を流して死んでいくのを見るのはつらい。昔の侍の切腹よりつらいよ(痛さの話です)。侍は腹切りした後に、痛みが感じないように、首を切られるでしょ?でも牛はじたばたもがきながら死んでいく。


日本などでの闘牛のイメージ写真は血を流すところを見せない旅行者用の画像ばかりしかなく、あまり事実が映し出されてないけれど、、これからは本当にそのイメージどおりに牛を躍らせて楽しむ闘牛であったらいいなと思う。実際ポルトガルなんかでは、闘牛で牛を殺さないそうだ。私たちのいるバレンシア地方もカタルーニャと同じ言語を話し、もともとはひとつの共同体だったところ。これからカタルーニャに続いていってほしいと思う。

2010年2月23日火曜日

サハラからの電話

電話の呼び鈴一回、イコール、私はここにいる。


なんだか、すごく切ないなぁって思う。

たまに、といっても最近結構頻繁にスペインの母のもとへかかってくる電話。昔よくあった、ワンコールで電話を切る、所謂、ワン切りなんだけれど、母はどこの誰からかかってきた電話か知っていて、できる限りすぐその着信のあった番号へかけ直す。昔夏に毎年ここを訪ねていた16歳の西サハラの女の子からの電話。


知っている人もいるかと思うけれど、西サハラはスペインが領有権を放棄した後には隣接国のモーリタニアとモロッコが分割し領有していた。しかし、西サハラはアルジェリアの支援を受けサハラ・アラブ民主共和国政府(日本は未承認。国連未加盟。)を樹立。その後モーリタニアは領有権を放棄したのだけれど、今は全域をモロッコが支配していて、国連の仲介で武力闘争は停戦したが、まだ紛争が続いているそうだ。


昔スペインが領有していた名残なのかスペインと西サハラの間には子供を預けたり預かったりするような法律があって、小さいときから12歳になるくらいまで、教育や貧困のために西サハラから夏にだけサハラの子供たちが、受け入れをOKした家族へやってくる。電話の女の子もその時期にここを訪ねていた女の子の一人で、みんなそのときは「サハラウィ、サハラウィ」と呼んでいた。私はその音がとても気に入っていたんだけど、本当の名前は、DAHBA(ダグバーこう書いたけどHの発音は日本語にはない、動物の鳴き声のような音)で、サハラウィとはスペイン語でサハラの人という意味だった。私も一度初めてスペインを訪れたときに会ったことがあって、すごくかわいらしい目のくりっとした女の子で、爪にもサハラのおしゃれで、爪染め(マニキュアのかわり)をしてどこにでもいる小さな女の子のように恥ずかしそうに、でもうれしそうに私たちに見せていたのを覚えている。そのサハラウィは、その年にとった私の写った写真をすごくほしがって、家に持って帰ったそうだ。アジア人がめずらしかったのかな?今でも私のことも覚えていてくれて、電話でも私が元気にしているか、おばあちゃん、誰々さんは元気かなど尋ねてくる。


そんなサハラウィも13歳以上になると国を出られない。金銭的な問題ではなくて、西サハラは独立したいのに国民が海外へ出てしまって人口が減ってしまったら、独立もなにも町も何もなくなってしまう。もちろんすごくお金持ちだったら、どこにいようと関係がないんだろうけど(個人的にそう思っている)、だって、住むにはやっぱり砂だらけで暑くて水もろくにないような土地よりは、緑がいっぱいあって水や食べ物が豊富なところの方がいいに決まってる。本当は家族がいて友人がいてっていっぱい他のこともあるから、決まってはないんだろうけど、そういう環境に育ってきたから、そう思ってしまう。


私が16歳の時は、何をしていたかな。学校や試験が終わったらみんなでカラオケ行ったり、マックでお茶したり、もちろん勉強も少しはしたけど。。。



今16歳のサハラウィは何を思っているんだろう。
なんだかもう一度そのサハラウィに会いたいなって思う。

2009年9月9日水曜日

競輪 -Valencia-

昨日スペインのバレンシア州で開催されている競輪が、うちの近くを通ると言うからお昼にサンドイッチとコカコーラ片手に見に行った。

自転車が来るまでに何台も警察や関係者の車やバイクが通ったあと、私たちが到着してから、20分後くらいに先頭車が走ってきた。左の写真。アンダルシアの夏を思い出す。日本のアニメーションにアンダルシアの夏という映画があるんだけれど、スペインに来るまでは競輪はいっつもアンダルシアであるんだと思っていたから(笑)。でも、ああいう映画好きだな。ジブリでも"アンダルシアの夏”とか"海が聞こえる"とか。なんか超大作にはならない感じの作品だけどあのふんわりかんがすごい好き。



ひだりのおじさんは、先頭車が来る瞬間まで、柵によじ上って来るのを確認してたおじさん。おもしろいから写真をとってみた。











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La vuelta españa
 
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