2010年9月7日火曜日

でこぼこオクラ

今年の収穫はおくら☆


去年はピーマン、スイカ、トマトにメロンが豊作だったんだけど、今年は残念ながら凸凹おくらのみ。あ、でも枝豆10粒くらいできたかな。というのも、今年の5月くらいの植え時のちょう苗を植えた後にひょうが降って台無しになってしまった。その後、回復した分がこのおくらです。


今日シンプルにゆでて賞味します。

2010年7月28日水曜日

いつまで続くの?

"いつまで続くの?あなたにかかっています。"
"闘牛廃止のために"



ついに、スペインカタルーニャで投票によって闘牛の廃止が決まった。


バルセロナが主要都市のカタルーニャ地方は、違う言語を話し、その土地に誇りを持った人が多く、スペイン内では新しい物事の発信地で国際的に開いている人々が多い。その中でずいぶん前からカタルーニャから発信していた闘牛廃止の運動で、この地方の闘牛廃止が決まった。どこまでどう変わるのかはっきりしたことはわからないけど、はっきりしていることは、見世物のために牛を殺さないということ。動物保護団体などや、動物が好きな人々からは兼ねてからの願いだった。もちろん食べるためには仕方ないことだけれど、見世物にするために殺すことがそういう人々の怒りをかっていた。


スペインへ来た当時、私は闘牛というのは、赤い旗をひらひらさせて牛を興奮させて走らせるだけだと思っていたんだけど、闘牛を見に行きたいと言ったときの友人の顔を今でも覚えている。私は闘牛廃止の運動家などではないけれど、やっぱり動物がその場で刺されて徐々に意識を失って地を流して死んでいくのを見るのはつらい。昔の侍の切腹よりつらいよ(痛さの話です)。侍は腹切りした後に、痛みが感じないように、首を切られるでしょ?でも牛はじたばたもがきながら死んでいく。


日本などでの闘牛のイメージ写真は血を流すところを見せない旅行者用の画像ばかりしかなく、あまり事実が映し出されてないけれど、、これからは本当にそのイメージどおりに牛を躍らせて楽しむ闘牛であったらいいなと思う。実際ポルトガルなんかでは、闘牛で牛を殺さないそうだ。私たちのいるバレンシア地方もカタルーニャと同じ言語を話し、もともとはひとつの共同体だったところ。これからカタルーニャに続いていってほしいと思う。

2010年7月20日火曜日

スコットランド記

最近といっても、2ヶ月くらい前になるんだけど、スコットランドへ行ってきた。主にエジンバラ中心に2週間過ごしたんだけど、暑苦しい国に住んでいると、すごく新鮮で気分転換になった。


はじめの写真はお気に入りの場所でDean Bridgeという川沿いのエリア。車も通れない1メートルくらいの道がずーっと続いていて、走っている人や子供と散歩している人がたくさんいて、町の人の憩いの場になっているよう。空気もおいしかった。また悪い癖でせっかく行っていろんなこと吸収して帰ってきたと思ってもしばらくブログに更新しなかったから覚えていたことがうる覚え。ただ天候には恵まれてたかな〜。スコットランドは雨が多くて暗い日が多いイメージだったけれど、半々くらいの確率でいい天気だったかな。どこに行っても雨おんなの私にしたら満足、満足。



次の写真はMuseum of Childhoodっていう小さなギャラリーだったんだけど、すごく印象に残った。というのも、子ども用のギャラリーかと思ったんだけど、昔のグロいおもちゃに奇妙な人形の数々。一番笑えたのが、ツイーニートッドの2階のバーバーから階下の人間肉のパイ屋さんに首を切られたお客さんたちがギャーって落ちて行く様子を描いた四角い50cm四方の箱。立体的でからくりをつかっていて、それが、10ペンスを入れたらいきなりランプがついて動くんだけど、その動作は首を切られて落ちるの動作の繰り返し(笑)。どう考えても子供用じゃないよね。あと、パペットマペットの元祖人形みたいなのもあったなぁ。




それと、3番目の写真は、グラスゴー近くにある、マッキントッシュ設計のThe Hill Houseへ行った時のもの。マッキントッシュは家具が有名なだけに、外観はちょっと微妙。でも中の家具全般は印象的で本当にディテールまで繊細にデザインされていて圧倒された。残念なのが、室内は撮影禁止です。外にもマッキントッシュらしい小技があるのが、門のデザイン。鳥かごのようなケージが門の真ん中に二つ着いていて、用途はわからないけれど、すてきでした。帰りにはずっと欲しかった彼の鏡を買って帰り、ご満悦。



その帰りには、Gren Coeという、グレンコーの虐殺があった土地へ。虐殺があったとは思えないような広々とした広大な谷でした。でも、その地で歴史的な出来事が起こったことをイメージしながら周りをみるとまた違った感情がわいてきた。

その他グレンコー等の写真は下のリンクから。




その他の写真はココ(si quieres ver más.)
Scotland_May.2010

2010年4月26日月曜日

水泳大会でカンペオーナ。

今週末、私の通っているジムで水泳のコンペがあった。そんなにまじめなコンペじゃないのだけど、せっかく行くなら頑張ろうと思って、女子100メートルクロールに挑戦した。


普段私が行っている水泳のクラスはいろんな道具を使って腹筋鍛えたり、手なしで足だけで泳いだりで(もちろん普通にクロールや平泳ぎバタフライなどのフォームの勉強もします)、速さなどはあんまり求めていません。でもその競争相手にはほかのクラスのベテランスイマーたちがそろっていたので、内心どきどきしながら、でもせっかくなら勝ちたいと思って頑張ったら、優勝しました(笑)。でも、最後の25メートルはもう沈む寸前で、息継ぎの顔が見れないくらいひどいことになってたと思う。練習の時とかもなぜかちょっと人がいる側に息継ぎの顔を見せるのが恥ずかしくって、反対側で息継ぎしてしまうし。。。でも優勝は予期してなかったからその日は始終ご機嫌。なんだかんだ、スポーツとしてちゃんとできるのは私にとって水泳だけかなー。


競争や、大会からずいぶん長い間離れていて、なんだか純粋な気持ちがよみがえってきたこのごろです。

2010年4月14日水曜日

セゴビア記

去年の暮れにスペインの中央部にあるセゴビアという町にいった。いまさらという感じだけど、写真をいくつかとったからちょっとだけ。やっぱり鉄は熱いうちに打てとよく言ったもので、書こうと写真をカメラダウンロードしたものの、今度今度と後のばしにしていたせでその時の気持ちが失せてしまった。



でも、気を取り直して。セゴビアって言ってもあまり聞いたことがないかもしれないけれど、一部の人には白雪姫のモデルになったお城があるって有名なところらしく、スペインに少し長居できるときなんかがあったら、ちょとよってみるといいかもしれない。


私のお気に入りスポット

  1. ローマの水道橋
  2. アルカサル
  3. コチニーヨ

はじめの写真がローマの水道橋で2000年前くらいからあるらしく、巨大で、まだ日本に卑弥呼もいないような時代にヨーロッパにはこんな文明があったんだと思うと、素直に感動した。






アルカサルは比較的若いお城のようで(何年くらいのものか忘れた)、童話の舞台になったお城なだけに、おとぎ話の世界にタイムスリップしてきたようだった。実際中に入ってみると結構こんなもんかって感じになるので、ここは外からの眺めの方がいいかもしれない。このお城の周りに散歩道みたいなものがあってそこを一周すると、出口あたりでお城全体が見えてきてうきうきする。晴れていたらもっとうきうきしたかもしれないけど、この日は残念ながら、小雨が降ったりやんだりの一日だった。





最後にコチニーヨ。コチニーヨとはセゴビア郷土料理の子豚の丸焼きのことで、肉が子豚だから鶏肉にこくをを加えたような感じで柔らかくておいしい。私が行ったレストランは、そこの観光エリア内の一番有名なレストランだったんだけれど、味はまあまあって感じでした。日本人なんかには丸焼きなんかは食べ慣れてないから一見グロッキーにみえるかもしれない。本当はセゴビアをよく知っている知人に薦められたレストランに行きたかったんだけど、夕飯に行ったらその日はお昼のみの営業でしまっていた。スペインではよくあることなんだけど、いいって言われるレストランに限って、営業時間が限られていることが多い。そんだけ店を開けなくても儲かっちゃうのかな。

2泊3日の旅でした。
チャンチャン。



その他、セゴビア近辺の遺産や町にもよりました。
ジェネラルフランコのお墓は数少ない負の遺産(に入ると思う)で、自分のために作った巨大な十字架が強烈でした。
写真はこちら
si quieres ver más, aquí.
Segovia_Dec_2010

2010年3月17日水曜日

おととい

おととい、このブログではじめの方に紹介したフランシスコというおじいちゃんがなくなった。


ちょうど去年の夏ごろに、何かの手術をして一人で住むのがつらくなって隣町の娘のもとへ引っ越して行った。それでも89歳でなかなかの長生きで、亡くなる半年前まで一人で住んで、全部一人でこなしていたそうだ。引っ越してからは、私は娘さんの電話番号を知らなかったので、会いに行こうとフランシスコの親戚の家に私の家の電話番号を渡して、電話がかかってくるのを待っていた。後で聞くとフランシスコも私たちや住んでいた町の仲間に会いたいともらしていたらしいが、娘さんも予期せぬ死に、私たちへの連絡もままならず逝ってしまった。原因は半年前の手術でおなかの中の何かがくっついたかなにかよくわからない原因だったんだけれど、歳も考えれば原因というよりは、老死に近かったんじゃないかなと思う。


世間一般にいうと、まだこれからという歳だし、今から自分の死のことを考えるのは早いと言われるかもしれないけれど、私もフランシスコみたいに逝けたらいいなと思う。直前まで元気に歩いたり、自転車で温泉にいったり。。。



ところで、最近ジムで水泳を始めた。昔から泳ぎは得意だったから、週に2回の水泳のクラスでも楽しく泳いでいる。いろんな人たちがいて楽しい。昨日は基礎練習でバタ足だけの練習から始まった。アンラッキーなことに気持ちよく泳いでいた私は、両手をふとももにつけた状態だったので、プールの岸に泳ぎ着いたときに結構なスピードで壁にぶつかった(笑)。おでこから。一瞬くらっとして何がおこったかわからなかったけど、すぐ普通に戻って、痛みもそんなになかったから、その日はそのままプール続行。後で、おでこを確認すると、血まででていて、ボルデモートにつけられた、ハリーの傷のような稲妻形の傷ができてしまった。あとに残らなければいいけど。。。

2010年2月23日火曜日

サハラからの電話

電話の呼び鈴一回、イコール、私はここにいる。


なんだか、すごく切ないなぁって思う。

たまに、といっても最近結構頻繁にスペインの母のもとへかかってくる電話。昔よくあった、ワンコールで電話を切る、所謂、ワン切りなんだけれど、母はどこの誰からかかってきた電話か知っていて、できる限りすぐその着信のあった番号へかけ直す。昔夏に毎年ここを訪ねていた16歳の西サハラの女の子からの電話。


知っている人もいるかと思うけれど、西サハラはスペインが領有権を放棄した後には隣接国のモーリタニアとモロッコが分割し領有していた。しかし、西サハラはアルジェリアの支援を受けサハラ・アラブ民主共和国政府(日本は未承認。国連未加盟。)を樹立。その後モーリタニアは領有権を放棄したのだけれど、今は全域をモロッコが支配していて、国連の仲介で武力闘争は停戦したが、まだ紛争が続いているそうだ。


昔スペインが領有していた名残なのかスペインと西サハラの間には子供を預けたり預かったりするような法律があって、小さいときから12歳になるくらいまで、教育や貧困のために西サハラから夏にだけサハラの子供たちが、受け入れをOKした家族へやってくる。電話の女の子もその時期にここを訪ねていた女の子の一人で、みんなそのときは「サハラウィ、サハラウィ」と呼んでいた。私はその音がとても気に入っていたんだけど、本当の名前は、DAHBA(ダグバーこう書いたけどHの発音は日本語にはない、動物の鳴き声のような音)で、サハラウィとはスペイン語でサハラの人という意味だった。私も一度初めてスペインを訪れたときに会ったことがあって、すごくかわいらしい目のくりっとした女の子で、爪にもサハラのおしゃれで、爪染め(マニキュアのかわり)をしてどこにでもいる小さな女の子のように恥ずかしそうに、でもうれしそうに私たちに見せていたのを覚えている。そのサハラウィは、その年にとった私の写った写真をすごくほしがって、家に持って帰ったそうだ。アジア人がめずらしかったのかな?今でも私のことも覚えていてくれて、電話でも私が元気にしているか、おばあちゃん、誰々さんは元気かなど尋ねてくる。


そんなサハラウィも13歳以上になると国を出られない。金銭的な問題ではなくて、西サハラは独立したいのに国民が海外へ出てしまって人口が減ってしまったら、独立もなにも町も何もなくなってしまう。もちろんすごくお金持ちだったら、どこにいようと関係がないんだろうけど(個人的にそう思っている)、だって、住むにはやっぱり砂だらけで暑くて水もろくにないような土地よりは、緑がいっぱいあって水や食べ物が豊富なところの方がいいに決まってる。本当は家族がいて友人がいてっていっぱい他のこともあるから、決まってはないんだろうけど、そういう環境に育ってきたから、そう思ってしまう。


私が16歳の時は、何をしていたかな。学校や試験が終わったらみんなでカラオケ行ったり、マックでお茶したり、もちろん勉強も少しはしたけど。。。



今16歳のサハラウィは何を思っているんだろう。
なんだかもう一度そのサハラウィに会いたいなって思う。

2010年2月16日火曜日

ムスメの衣装

やっと冬も終盤に差し掛かった頃に出来上がりました。

秋になってからゆっくりゆ〜っくり作ってきた、ドレス。自分でもなかなかのできに結構満足してます。うちのナラちゃん(通称ムスメ)は白いマルチーズのような母と、どこの馬の骨だか知れない雑種から産まれた4足の真っ白なブーツを履くいわゆる雑種なんだけれど、良い子すぎるくらい従順で、誰にも負けない臆病者。今持っている服は、バルサの応援服と、浴衣、冬物セーターに最近出来上がったこのドレス一着。余っていた毛糸で作ったから、セーラー服カラーでムスメの毛の色とはちょっとミスマッチ。



着せてみるとこんな感じ、後ろ足だけで立ってじゃれていると、フラメンコの衣装を着たバレリーナみたいで、くすぐったい笑いがこみ上げてきます。でも多分私だけ。彼女のお迎えタップダンスも結構見物です。うれしさのあまり一分に千回ものタップを踏むような勢いの足踏みが玄関で始まります。



ムスメの素顔公開。

2010年1月25日月曜日

やっと快晴に向かって

珍しくアリカンテで、天気が悪い冬。アリカンテといったら、"晴れ晴れ晴れ"で有名なところなのに、最近はは寒くて暗くて。。。でもやっと天気も少しずつ回復しているよう。


曇りや雨で外にもなかなか出ていなかったから今日は万歩計機能付きの新しい携帯をポケットに入れて、軽く走りに行こうかな。




なので元気を出すために、去年の暮れの快晴の日の写真でも。

2010年1月19日火曜日

カイナアートフェスタ

去年の暮れに、友人からのお誘いで沖縄のカイナアートフェスタに小さな写真で参加した。沖縄のローカルフェスタで体育館で行われたようだ。というのも私は友人の100のさまざまなひとからの携帯写真を展示するという企画に外から(現地に行かずに)出展したので、実は現場に行った訳ではない。現地の写真をもらったときまだ半袖の人たちがたくさんいて、沖縄だなーって、まず微笑んでしまった。



投票等も行われたみたいだけれど、そのその報告はなかったから、わたしの写真には投票がなかったんだろう(笑)。ちなみに送った写真は、スペインの山に生息する、独特の白いカタツムリ。ある地点から頂上にかけて生息していて、山の麓や町中にはほとんどいない。確か、すてきに真っ白だったので、昔のブログにものせたはず。




カイナアートフェスタHP 2009(ウサギをクリック)

2010年1月11日月曜日

遅くなりましたが


あけましておめでとうございます。☆2010☆


年末年始は、なかなか時間がとれずにここに書こうと思っていたことも、たまって 結局書かずに終わってしまった。なかなか続けられない自分に不甲斐なさを感じる。その上年始すぐに風邪を引いて、その2日後に何かのウイルスを移されて、 嘔吐に下痢に最悪な数日を過ごした。私の2010年は雲行きが怪しいのか。。。昔読んだちょっとした占いの中で、今年から運が下がる傾向?見たいな事を書 かれていて、ここ数日に思い出した。ただ、奇妙なもので私のサイクルって、運が悪いと言われるときに限ってやる気がみなぎったり、運がいいとされるときに は、やる気が落ちていたりで、悪循環な気がしてならない。でもそんなことは結局自分がどう思うかであって、日ごろ忘れているのであまり関係ないんだろう。


There is no success without toil.


今年はこの言葉を胸にがんばろう。

皆さん、こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。



 
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