2009年6月30日火曜日

金曜日のフランシスコ

毎週金曜日の夕方5時におばあちゃんの家へ必ずくるおじいちゃん、名前は"フランシスコ"。現在88歳。昔はおじいちゃんとおばあちゃんと必ず一緒に話しておやつを食べて過ごしていたみたいなんだけれど、今はおじいちゃんが逝ってしまい、おばあちゃんも病気で寝たきりになってしまった。でも、話は出来ないけれど毎週来ておばあちゃんの娘さんや私がいるときはたまに私にもいろんな昔話を聞かせてくれる。私が知る唯一のスペイン内乱の前線で働いた経験者。昔からいろんなことを経験してきているだけに、身体だけはしっかりしていて、この前まで1人で天然温泉に自転車で通っていたんだけれど、最近はすこし弱ってきて自転車は断念してしまった。この、フランシスコが聞かせてくれたスペイン内乱の話。


1936年フランシスコは16歳でまだまだ教育を受ける年齢だった。しかし、この時期はスペイン内乱でスペイン国内はそれどころではなかった。紛争はいろんなところで行われたが、前線はバルセロナのあたりだったらしい。その比較的近くのバレンシアで労働者軍に加わった。労働者軍は簡単に言うと、普通の農民や労働者たちが武器を取り独裁主義のフランコに反対したものたちの集まりである。フランコ側は軍人たちの集まり、いわゆる戦争、紛争そのものを専門として武器を使うのもお茶の子さいさいの人たち。それに対して、労働者側は農具や肥料しか触った事のないぺーぺーの素人軍団だった。ずっと眠れない日が続き、歩き回って、やっと洞窟など眠れるところに着いた時は、爆弾も気づかないくらい眠った。手紙は地上で配達すると爆弾が全部さらってしまうから、スペイン南のほうにたくさんあるヤシの木に吊るしてやり取りをした。ある日、爆弾がフランシスコたちを直撃して、周りの仲間は数人亡くなった。フランシスコも自分自身死んだと思った。でも16歳の若さと柔軟さが幸いしたのかしばらく意識がなかったが生きていた。歯が全部飛んでいた。近くにいた看護婦でもなにもない女の人に口の中を縫ってもらい、麻酔もなく激しく痛んだ。それからは前線には参加出来なかったが、間もなく戦争は終わった。


こんな話を笑って得意げにフランシスコは聞かせる。今のスペインの平和は、普通の仕事に着いて、普通の暮らしがしたかったたこんな人たちのお陰であるんだなと思った。

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