2010年3月17日水曜日

おととい

おととい、このブログではじめの方に紹介したフランシスコというおじいちゃんがなくなった。


ちょうど去年の夏ごろに、何かの手術をして一人で住むのがつらくなって隣町の娘のもとへ引っ越して行った。それでも89歳でなかなかの長生きで、亡くなる半年前まで一人で住んで、全部一人でこなしていたそうだ。引っ越してからは、私は娘さんの電話番号を知らなかったので、会いに行こうとフランシスコの親戚の家に私の家の電話番号を渡して、電話がかかってくるのを待っていた。後で聞くとフランシスコも私たちや住んでいた町の仲間に会いたいともらしていたらしいが、娘さんも予期せぬ死に、私たちへの連絡もままならず逝ってしまった。原因は半年前の手術でおなかの中の何かがくっついたかなにかよくわからない原因だったんだけれど、歳も考えれば原因というよりは、老死に近かったんじゃないかなと思う。


世間一般にいうと、まだこれからという歳だし、今から自分の死のことを考えるのは早いと言われるかもしれないけれど、私もフランシスコみたいに逝けたらいいなと思う。直前まで元気に歩いたり、自転車で温泉にいったり。。。



ところで、最近ジムで水泳を始めた。昔から泳ぎは得意だったから、週に2回の水泳のクラスでも楽しく泳いでいる。いろんな人たちがいて楽しい。昨日は基礎練習でバタ足だけの練習から始まった。アンラッキーなことに気持ちよく泳いでいた私は、両手をふとももにつけた状態だったので、プールの岸に泳ぎ着いたときに結構なスピードで壁にぶつかった(笑)。おでこから。一瞬くらっとして何がおこったかわからなかったけど、すぐ普通に戻って、痛みもそんなになかったから、その日はそのままプール続行。後で、おでこを確認すると、血まででていて、ボルデモートにつけられた、ハリーの傷のような稲妻形の傷ができてしまった。あとに残らなければいいけど。。。

2010年2月23日火曜日

サハラからの電話

電話の呼び鈴一回、イコール、私はここにいる。


なんだか、すごく切ないなぁって思う。

たまに、といっても最近結構頻繁にスペインの母のもとへかかってくる電話。昔よくあった、ワンコールで電話を切る、所謂、ワン切りなんだけれど、母はどこの誰からかかってきた電話か知っていて、できる限りすぐその着信のあった番号へかけ直す。昔夏に毎年ここを訪ねていた16歳の西サハラの女の子からの電話。


知っている人もいるかと思うけれど、西サハラはスペインが領有権を放棄した後には隣接国のモーリタニアとモロッコが分割し領有していた。しかし、西サハラはアルジェリアの支援を受けサハラ・アラブ民主共和国政府(日本は未承認。国連未加盟。)を樹立。その後モーリタニアは領有権を放棄したのだけれど、今は全域をモロッコが支配していて、国連の仲介で武力闘争は停戦したが、まだ紛争が続いているそうだ。


昔スペインが領有していた名残なのかスペインと西サハラの間には子供を預けたり預かったりするような法律があって、小さいときから12歳になるくらいまで、教育や貧困のために西サハラから夏にだけサハラの子供たちが、受け入れをOKした家族へやってくる。電話の女の子もその時期にここを訪ねていた女の子の一人で、みんなそのときは「サハラウィ、サハラウィ」と呼んでいた。私はその音がとても気に入っていたんだけど、本当の名前は、DAHBA(ダグバーこう書いたけどHの発音は日本語にはない、動物の鳴き声のような音)で、サハラウィとはスペイン語でサハラの人という意味だった。私も一度初めてスペインを訪れたときに会ったことがあって、すごくかわいらしい目のくりっとした女の子で、爪にもサハラのおしゃれで、爪染め(マニキュアのかわり)をしてどこにでもいる小さな女の子のように恥ずかしそうに、でもうれしそうに私たちに見せていたのを覚えている。そのサハラウィは、その年にとった私の写った写真をすごくほしがって、家に持って帰ったそうだ。アジア人がめずらしかったのかな?今でも私のことも覚えていてくれて、電話でも私が元気にしているか、おばあちゃん、誰々さんは元気かなど尋ねてくる。


そんなサハラウィも13歳以上になると国を出られない。金銭的な問題ではなくて、西サハラは独立したいのに国民が海外へ出てしまって人口が減ってしまったら、独立もなにも町も何もなくなってしまう。もちろんすごくお金持ちだったら、どこにいようと関係がないんだろうけど(個人的にそう思っている)、だって、住むにはやっぱり砂だらけで暑くて水もろくにないような土地よりは、緑がいっぱいあって水や食べ物が豊富なところの方がいいに決まってる。本当は家族がいて友人がいてっていっぱい他のこともあるから、決まってはないんだろうけど、そういう環境に育ってきたから、そう思ってしまう。


私が16歳の時は、何をしていたかな。学校や試験が終わったらみんなでカラオケ行ったり、マックでお茶したり、もちろん勉強も少しはしたけど。。。



今16歳のサハラウィは何を思っているんだろう。
なんだかもう一度そのサハラウィに会いたいなって思う。

2010年2月16日火曜日

ムスメの衣装

やっと冬も終盤に差し掛かった頃に出来上がりました。

秋になってからゆっくりゆ〜っくり作ってきた、ドレス。自分でもなかなかのできに結構満足してます。うちのナラちゃん(通称ムスメ)は白いマルチーズのような母と、どこの馬の骨だか知れない雑種から産まれた4足の真っ白なブーツを履くいわゆる雑種なんだけれど、良い子すぎるくらい従順で、誰にも負けない臆病者。今持っている服は、バルサの応援服と、浴衣、冬物セーターに最近出来上がったこのドレス一着。余っていた毛糸で作ったから、セーラー服カラーでムスメの毛の色とはちょっとミスマッチ。



着せてみるとこんな感じ、後ろ足だけで立ってじゃれていると、フラメンコの衣装を着たバレリーナみたいで、くすぐったい笑いがこみ上げてきます。でも多分私だけ。彼女のお迎えタップダンスも結構見物です。うれしさのあまり一分に千回ものタップを踏むような勢いの足踏みが玄関で始まります。



ムスメの素顔公開。

2010年1月25日月曜日

やっと快晴に向かって

珍しくアリカンテで、天気が悪い冬。アリカンテといったら、"晴れ晴れ晴れ"で有名なところなのに、最近はは寒くて暗くて。。。でもやっと天気も少しずつ回復しているよう。


曇りや雨で外にもなかなか出ていなかったから今日は万歩計機能付きの新しい携帯をポケットに入れて、軽く走りに行こうかな。




なので元気を出すために、去年の暮れの快晴の日の写真でも。

2010年1月19日火曜日

カイナアートフェスタ

去年の暮れに、友人からのお誘いで沖縄のカイナアートフェスタに小さな写真で参加した。沖縄のローカルフェスタで体育館で行われたようだ。というのも私は友人の100のさまざまなひとからの携帯写真を展示するという企画に外から(現地に行かずに)出展したので、実は現場に行った訳ではない。現地の写真をもらったときまだ半袖の人たちがたくさんいて、沖縄だなーって、まず微笑んでしまった。



投票等も行われたみたいだけれど、そのその報告はなかったから、わたしの写真には投票がなかったんだろう(笑)。ちなみに送った写真は、スペインの山に生息する、独特の白いカタツムリ。ある地点から頂上にかけて生息していて、山の麓や町中にはほとんどいない。確か、すてきに真っ白だったので、昔のブログにものせたはず。




カイナアートフェスタHP 2009(ウサギをクリック)
 
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