2010年2月23日火曜日

サハラからの電話

電話の呼び鈴一回、イコール、私はここにいる。


なんだか、すごく切ないなぁって思う。

たまに、といっても最近結構頻繁にスペインの母のもとへかかってくる電話。昔よくあった、ワンコールで電話を切る、所謂、ワン切りなんだけれど、母はどこの誰からかかってきた電話か知っていて、できる限りすぐその着信のあった番号へかけ直す。昔夏に毎年ここを訪ねていた16歳の西サハラの女の子からの電話。


知っている人もいるかと思うけれど、西サハラはスペインが領有権を放棄した後には隣接国のモーリタニアとモロッコが分割し領有していた。しかし、西サハラはアルジェリアの支援を受けサハラ・アラブ民主共和国政府(日本は未承認。国連未加盟。)を樹立。その後モーリタニアは領有権を放棄したのだけれど、今は全域をモロッコが支配していて、国連の仲介で武力闘争は停戦したが、まだ紛争が続いているそうだ。


昔スペインが領有していた名残なのかスペインと西サハラの間には子供を預けたり預かったりするような法律があって、小さいときから12歳になるくらいまで、教育や貧困のために西サハラから夏にだけサハラの子供たちが、受け入れをOKした家族へやってくる。電話の女の子もその時期にここを訪ねていた女の子の一人で、みんなそのときは「サハラウィ、サハラウィ」と呼んでいた。私はその音がとても気に入っていたんだけど、本当の名前は、DAHBA(ダグバーこう書いたけどHの発音は日本語にはない、動物の鳴き声のような音)で、サハラウィとはスペイン語でサハラの人という意味だった。私も一度初めてスペインを訪れたときに会ったことがあって、すごくかわいらしい目のくりっとした女の子で、爪にもサハラのおしゃれで、爪染め(マニキュアのかわり)をしてどこにでもいる小さな女の子のように恥ずかしそうに、でもうれしそうに私たちに見せていたのを覚えている。そのサハラウィは、その年にとった私の写った写真をすごくほしがって、家に持って帰ったそうだ。アジア人がめずらしかったのかな?今でも私のことも覚えていてくれて、電話でも私が元気にしているか、おばあちゃん、誰々さんは元気かなど尋ねてくる。


そんなサハラウィも13歳以上になると国を出られない。金銭的な問題ではなくて、西サハラは独立したいのに国民が海外へ出てしまって人口が減ってしまったら、独立もなにも町も何もなくなってしまう。もちろんすごくお金持ちだったら、どこにいようと関係がないんだろうけど(個人的にそう思っている)、だって、住むにはやっぱり砂だらけで暑くて水もろくにないような土地よりは、緑がいっぱいあって水や食べ物が豊富なところの方がいいに決まってる。本当は家族がいて友人がいてっていっぱい他のこともあるから、決まってはないんだろうけど、そういう環境に育ってきたから、そう思ってしまう。


私が16歳の時は、何をしていたかな。学校や試験が終わったらみんなでカラオケ行ったり、マックでお茶したり、もちろん勉強も少しはしたけど。。。



今16歳のサハラウィは何を思っているんだろう。
なんだかもう一度そのサハラウィに会いたいなって思う。

2 件のコメント:

  1. そんな風習?歴史?があったなんて、知らなかったな。1年いても知らないことがまだまだあるんだ・・お勉強不足でした。ルベンの家族も昔のことはあんまり話さなかったし。フランコの時代を生きてきて、いあまり過去の事を振り返りたくないのかな?
    いや~お勉強になりました!
    あかんちゃんのお兄ちゃんはアフリカ着いたのかな?

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  2. お兄はもう1月からナミビアで働いてるよー!やっぱり文化の違いには苦労しているみたいだよ。

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